幼い頃から鉄道が好きでした。 高校進学時は昭和鉄道高校運輸科を受験し、
希望どおり合格しましたが、「今進路を決定することはないだろう」との家族の言葉もあり、
地元県立高校に進学。

自分の思いを曲げ、不本意な進路を選択したとの気持ちを
抑えることができず、高校一年生の冬、一週間家出しました。

家族に宛てた書き置きを残すと、上野駅から急行八甲田に乗り青森へ。

青函連絡船に乗船し北海道を彷徨いました。
(当時はワイド周遊券という20日間、エリア内の特急・
急行の普通車自由席に乗り放題という切符があったのです。
なので札幌を起点に利尻、大雪、まりもという夜行急行列車で何夜も明かしたなぁ)

こんな阿呆な行動で気持ちが吹っ切れたわたしは、
そのまま同校を卒業し、都内の大学、大学院に進学後、
地元である久喜市役所に就職します。

鉄道会社に就職する思いは潰えていなかったものの、
超就職氷河期といわれた当時、鉄道会社への就職は極めて狭き門でした。

鉄道会社への就職を諦め、市役所職員(公務員)の道に進んだことは、
再び自分の思いを曲げた、
しかも今回は自ら曲げたこととして澱のように心の底溜まります。

50歳という節目の年に早期退職し、青山トラン・ブルー株式会社を
立ち上げたのは昔年の思いの発露かもしれません。

しかし、それはもちろん思いつきや暴発したものではなく、
鉄道を仕事にしたいという真摯な気持ちによるものです。

経営者、企業人としては異色のわたしではございますが、
青山トラン・ブルー株式会社が社会から愛され、価値を創造し、
社会に資する会社として永続させていきたいと願っています。